大型肥満ダイエット日記と日常と

思ったこととダイエット経過報告

怒りはどこへ向かってどこへ消えるのか

「本当に怒りに満ちて怒ると胃がキューっとなって熱く感じるんだよね」

そんな話を聞いて、

私はどちらかといえば、
胃が熱くなるって言うよりかは
胃が痛くなるなあ、と。

そして怒りというよりかは
苦しいになるなぁと。

似てるけれども違うこの二つは
一体何が違うのかと考えてみた。

自分も若い頃の怒りに満ちた時には、
一番的確な言葉として、
「腸が煮えくり返る」とよく言っていた。
そしてその状態は今振り返ってみると
確かに胃の辺りが燃えるような感じで
自分の気持ちを外に向かって
発散してしまいたいという気持ちが
強かったように記憶している。

実際その時はいろんな方々に
お話を聞いてもらったりして
怒りをなだめるのに結構な時間がかかったのを覚えている。

今はもうそこまで、
腸が煮えくり返るほどの怒りには
戻らないけれども、
もう二度と接点は持たないだろうなと
いうのはよくわかる。


では最近は怒らないのか?と言われれば
怒らないわけではなく、
そこまで怒りのボルテージが上がらない、
そちらになったのかと思っている

それを
達観と見るのか、
俯瞰と見るのか、
熱が冷めたと見るのか、
どうでもいいと見るのか。

人によって言い方は違うけれども
少し引いて見える人たちになるらしく
「怒らないよね」っていう風に言われることが多くなってくる。

では自分にとって怒らないとかはプラスになるのか?と少し考えていたのだが
怒らない分どうも自分が苦しいと感じることが増えたなと。

自分はまだまだ達観するほどまで行っていないので
「この人はこうだからしょうがないよね」まではいかず
「この人はこうだからやっぱむかつく」もまだまだある。

だけど怒りにまではならず。
でも小さな怒りになるようなエネルギーは発生しているわけで。それが何かに変換されているのだと考えたら、それが

【発散されないから自分の中で
苦しいという気持ちになるのかな】

と、そんなことを少し考えついた。


思ったことを思ったように、

「(私はあなたのこれが)気に入らない」

って言うのは簡単なんだけれども、
それは自分にとって

【相手が思い通りに動かないことへの怒り】

になるわけで。

仮に理不尽なことだとしても、それは

【私にとっての都合であり相手にとってはそこまでではなかった】

だけなのでは?と。

中途半端に頭で理解できる分、
昔みたいに怒りに任せて叫ぶことはほぼなく。かといって怒りが全く出てこないわけではないので、

【それが苦しさになるのであれば何か違う方法でこのエネルギーを消化していく】

ことをしていかないと
自分がダメになる気がするのです。